5.由良要塞跡 |
洲本市由良町由良 |
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由良要塞は、現由良地区の全体に渡っていたようで、至る所にその痕跡が伺えます。
ここでは、地図の左下に示されている生石山砲台跡を紹介します。
明治では、このような大土木建築工事にはレンガが使われていました。その後徐々にコンクリートが普及して行きます。この由良に散らばる各要塞跡でもその時代の変遷を垣間見ることができます。
コンクリート造のなんと味気無い殺風景なことか。レンガ造の重厚さに比べると、まるでおもちゃのようです。それはともかく、大変な労力と費用が注ぎ込まれたことだけは確かです。
明治の後半、僅かな時期ですが、つわものどもが夢の跡、です。
個人的には、こんな榴弾砲なんぞで敵艦に本当に命中するのか、はなはだ疑問ですが、結局、その性能をここでは試す機会は無く、実戦で使われることはありませんでした。
ご苦労なこってす。 |
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軍事関係資料の英訳です。普段目にしない単語が使われていて、興味津々
batteryは電池とばかり思い込んでいましたが、砲台として使われています |
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生石山(おいしやま)一番の高台にある駐車場入口 |

生石山第一砲台跡、2門砲座・砲側庫が3ヶ所連なっています。合計6門 |
 28cm榴弾砲2門砲座跡 |
 砲座横にある砲側庫、大変重厚な造りです |

ちょと分かりにくいかもしれませんが、アーチ上面で上部側が前側にずれ出しています
せん断横ずれ後の状態でしょうね(立ち入り禁止ではありますが、商売柄無視) |

中は比較的良好 |

隣の砲側庫、思わずゾッとするほどの壊れ方です
個人的には、この破壊状態は、阪神淡路大震災の時のことだと思っています。 |

これほど破壊されていても落ちないんですネェー!アーチ構造の真髄を見る思いです |
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落ちそうで落ちない、薄気味悪い不気味な光景ですが、アーチの潜在力はすごい!! |

落ちないですねー |
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ここはちょと理解しにくい壊れ方です |

この図は東の方、友ヶ島方向を向いています
一番右手が第一砲台 |

右手から細長くたなびくのが砂州(砂嘴?)の成ヶ島、由良の海は大変静かです |

時刻は5時3分、友ヶ島の左手から朝陽が昇って来ます |

コンテナ船が静かに滑って行きます。その向こうは漁船の群れ |