織田軍が3000丁の鉄砲の3段つるべ打ちで、押し寄せる武田騎馬軍団を壊滅させたと謂われている長篠設楽原の合戦。やっと、今回その現場を見ることができた。
第一印象:なんでこんな狭い所で大軍がぶつからなければならなかったのか。
これである。
はっきり言って、そこには騎馬軍団が縦横無尽に走り回る場所は皆無である。
何故、武田軍がここで戦う腹を決めたのか全く理解できない。逆を言えば、織田軍は、「武田騎馬軍団をやっつけるにはここしかない」という究極の選択をしたことになる。これは、偶然の結果ではない。よくよく考慮した挙句の最善の策であったことになる。
勝頼は決して凡庸な大将ではない、と思う。むしろ、積極果敢な大将であったと思える。ただ、父信玄亡き後、何がしかのあせりがあったのではないだろうか。それは父信玄に負けたくない、自分は父信玄に決して劣ってはいない、ということを常に家臣に納得させ続けなければならない、という一種の強迫観念にとらわれていたのではないだろうか。簡単に言えば功をあせりすぎた、急ぎすぎた、と言えるのではないだろうか。
無敵と謂われる武田騎馬軍団を要しているという驕りがあったのは事実だと思う。そのため織田軍の戦力の研究を怠った。当時の時勢の流れを読むことができなかった。
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