ウィキペディアに拠ると、閑谷学校とは岡山藩主池田光政によって開設された世界最古の庶民学校とある。江戸時代前中期1700年前後のことである。当時、藩士のための藩校として岡山学校(藩学)があったが、庶民のための学校は極めて異例であった。儒教をはじめとして色々な学問を教えていたようである。
一帯は、山懐に抱かれた、文字通り静かな場所である。何故こんな場所にと思えるほどの辺鄙な場所でもある。
駐車場から北を眺めると、新緑に囲まれて備前瓦と呼ばれる独特の赤みがかった瓦屋根が目を引く。これで屋根の先端がピッと上を向いていれば間違いなく中国のどこかに居ると錯覚しそうな怪しげな雰囲気を持つ。石橋を渡って校門に近付くと、目の前を長く横切る異様な形の石垣に度肝を抜かれる。中に入って気が付いたのだが、石垣の断面と講堂の障子戸の雰囲気が似ているのだ。要するに釣鐘を伏せたような独特の断面形状を持つ石垣である。頂付近の丸みを帯びた造詣が私のアーチに寄せる思いとリンクし、全然悪く無い。高くも無く、低くも無く、これが学校全体をぐるりとうねるように取り巻いているのだ。この中の空気は外界とは異なるんだよっと誇らしげに縄張りを主張しているようだ。
石垣の中は、広い。今で言えば運動場とでも呼べるほどの広さの下段とその奥に広がる丘陵地から成る。その中で、やはり講堂の建物は一際目を引く。このまま、京のど真ん中に持って行っても、誰もこれが備前の山の中にある建物とは想像もつかないだろう。
今日は、たぶん中学生と高校生と思われる二組の生徒集団がやってきていた。ちょうど時分時で弁当を広げ楽しげにはしゃいでいる。私も集団の中に紛れて、いつものパンとコーヒーを食す。皆、ここが江戸時代の庶民の学校だったということをどのようにとらえているのだろうか。もしも、今から300年程前にこの地に生まれていたら、ひょっとしてあなたたちは石垣の中で寝起きを共にしている、なーんてことになっていたりして。そんなことを思うのは私だけか。
静かな、閑かな、しずかな時が流れている。
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