2.馬門橋
まかど
石アーチ
下益城郡美里町佐俣-今
二俣橋から砥用町へ入って
1km
足らずの現橋左手下の方にあるが、木立に遮られて国道からは見えない。道路脇の細いあぜ道を降りて行くと薄暗い中にひっそりと架かっているのが分かる。これも苔蒸しており、今は実用には供していないようだ。緑の案内板。
2022.12.11
再訪
3.坂貫刎桁橋
下益城郡美里町坂貫
刎桁
この朝、実にこの石橋巡りを始めてから
4
年目にしてやっと馬門橋を再訪した。前回も厳しい寒さの中だったが以前のままの姿を留めていた。その馬門橋を過ぎて、
R218
をぐーっと登って行った頂点の信号を右折、橋を渡って坂貫地区へ。その先左折直ぐ右手に青色の水門設備がある。その前に植生に覆われた小さな桁橋が架かっている。川底は凍っているので降りることができない。
6.大窪橋
石アーチ
下益城郡美里町大窪
R218
の消防所から南へ入った所に見えている。田園の中にぽつんとアーチが盛り上がっている。桜の木との調和がいい感じである。橋面も土のままでたぶんほとんど当時のままの状態を保ち続けているのだろう。田園の中に完全に一体となった落ち着いた雰囲気を持っている。地元の人たちが桜祭り用の提灯を架ける作業を行っていた。
17.雄亀滝橋
おけだけ
下益城郡美里町清水
石アーチ
R218
から右手
R153
に入り案内板に従って進む。案内板を見落とすと全く分からなくなる。しばらく行くと県の集落を過ぎた次の集落に案内板があり、それに従って右手に切れ上がる。細い道の木立の中をさらに登り詰めると、右手前方に視界が開け、その左手前方にさらに案内標識がある。用水路がありその水路沿いの狭い路を少し歩くと直ぐに滝とその下の雄亀滝橋が見えてくる。用水路はそのまま橋の中に吸い込まれ対岸に流れ出ている。正に現役の立派な水路橋である。まるっきり人気の無い深閑とした中にひっそりと佇むといった感じである。正面の滝の右横の
RC
擁壁が邪魔である。それにしてもこんな辺鄙な所によくもまあ架けたものである。最後の最後に宮崎からの帰りに立ち寄ってみた。冬だったこともあり容易に下に降りることができる。下から見上げる真っ黒なアーチは壮観である。すごい存在感である。
1.佐俣の湯石橋
石アーチ
下益城郡美里町佐俣
R218
を通る時はいつもこのアーチを目にするのだが、やっと正式に計上する気になった。温泉の看板代わりに造られたものと思われるが、さすが石橋の地元だけに立派なものである。
一応計上しておく。
2022.12.11
(日)晴れ 昨日はこの時期としては暖かく、谷を降りて登ってせっせと歩き回った私は汗びっしょり。そこで、ちょうどいい位置にある佐俣の湯で湯ったり。ここは道の駅美里 佐俣の湯。ここで目覚める。今日のメインは中央町と旧砥用町。
35.(仮)旧内大臣森林鉄道跨線橋
石アーチ
下益城郡美里町清水
霊台橋の左岸側、
R218
から霊台橋へは石階段を降りて行くことになる。この石階段の下には石アーチが刻まれている。その昔、ここを内大臣森林鉄道が通っていたと言う。年代的には霊台橋が先で鉄道は後。ネットでは、このアーチは隧道と表記されている。しかし、私的にはどう見ても隧道とは思えない。この位置に鉄道を通すとなると霊台橋へのアプロ−チをもろにぶった切ることになる。これを避けるために、霊台橋と同様の意匠でアーチ式跨線石橋を構築し、霊台橋へは石階段で降りて行くようにした、これが正解だと思う。従って、間違いなくアーチ式石橋と判断する。
19.ゆきぞの橋
下益城郡美里町清水
石アーチ
R218
北側の霊台橋公園への旧道に架かる。
1
軒だけある民家の下手。ガードレールが無ければ分からない。
5.大窪桁橋
下益城郡美里町大窪
桁
目磨橋を渡って
R218
へ。ものの
100m
ほどで右手前方に大窪橋が見えている地点で左を見ると
RC
塀の向こうに水が勢い良く流れ落ちている所がある。そこに桁橋が架かっている。一見すると
RC
だが覗き込むと石桁を確認できる。
7.舞鹿野田橋
もうかんだ
下益城郡美里町二和田
石アーチ
R218
大窪橋を過ぎて
1km
程行った左手民家の裏手下の小川に架かる。田圃の中。これで大丈夫なのだろうかといぶかしむくらいの超扁平アーチ。緑の案内板。
11.平成未来橋
下益城郡美里町永富
石アーチ
砥用町の中心部に東西に津留川?が流れている。その南側に文化交流センターひびきがある。オレンジ色の独特のアーチ屋根の多目的広場の隣である。そのひびきの
P
の南側の道を駆け上がり、
T
字を左折、
100m
先右手に津留区多目的集会所がありその前に架かっている。平成
13
年
5
月竣工。非常に新しいのだが輪石には羊歯類が生えておりずっと昔からそこにあったと言っても不思議ではない雰囲気を持っている。
23.新鍵ノ戸橋
下益城郡美里町畝野
石アーチ
R218
を矢部町方面に進む。長いトンネルを抜けると
、家族旅行村の大きな案内板があり、緑川ダム湖の方へ降りて行く。キャンプ場を過ぎて右にカーブした所のピクニック広場にある水車小屋の前に移設されている。
22.霊台橋
れいたい
下益城郡美里町豊富-清水
石アーチ
雄亀滝橋から
R218
に引き返して矢部町へ向かい、緑川に向かってぐーっと下って行き左カーブの手前で左側に視界が開けその姿が黒々と飛び込んでくる。朝日を受けて堂々としたため息が出るほどの極めて優雅な橋である。その直ぐ上手には現橋が架かっているがまるで薄っぺらでみすぼらしく感じる。それほどこの橋はすばらしい。中央部がやや盛り上がり大きなアーチが大変美しく、マッシブな
2
段組の基礎部のせいで非常に安定感が出ているようだ。おそらく広い川幅では非現実的な巨大アーチになるので工事可能な範囲まで幅を狭める目的と全高が高くなるのを補うためにこのようなマッシブな張り出し基礎になったのであろう。それがかえってこの橋の重厚感を醸し出す要因になっているものと思われる。国道を対岸に渡り、石段を降りると橋の上を歩けるようになっているが、意外と幅は狭く欄干も低く高所恐怖症の人は怖い思いをするかもしれない。橋面は山砂が敷き詰められており、ちょうど霜柱が融けてきつつある頃合いだったのでじゅくじゅくしていた。苔の全くない石の地肌がきれいで全体的に黒っぽい印象を与える。
25.下用来橋
しもようらい
下益城郡美里町川越-涌井
石アーチ
再び用来の集落を戻って
R220
に出て先へ進むと直ぐ左手に緑の案内板があり、道路下の田圃の隣を流れる小川に架かる。小さいが感じのいい橋である。院内町の奥にある橋のようである。今では農作業に使われる程度か。でも橋面が土と草に覆われているのはやはりいい。
おそらく洪水被害を受けた結果だと思われるが、このような姿になってもオリジナルのアーチ形状を保っていることは驚嘆すべきことだと思う。如何にこの輪石の積み方が緻密で強固であったかを如実に物語っている。当時の石工の技術の高さは賞賛に値する。見事である。
18.阿芹場橋
あせりば ⇒
流失
下益城郡美里町洞岳
石アーチ
さらに
R153
を進み藤木の集落を過ぎてしばらく行くとがくっと
V
字状に道路が左カーブしている所がありその橋の下に架かっている。岩がごつごつしたきれいな渓流で、河原に下りて上流側現橋の下に入ると橋の全貌が確認できる。わずかに上反りのきれいなアーチ。白い案内棒。
29.樋渡水路橋
ひわたし
下益城郡美里町豊富
石アーチ
R220
に戻って東へ行くとやがて右手に橋がある。手前の道路は舗装工事前の砂利道である。橋を渡ると直ぐに高齢者コミュニティセンター筒川荘というのがある。そこを降りて行くと直ぐ右下の畑の先に小さな水路橋が架かっている。そばに案内棒も立っている。水路には水が勢い良く流れている
4.目磨橋
めとぎ ⇒
流失架替
石アーチ
下益城郡美里町境
坂貫から道なりに東へ進むと
目磨地区に入る。
R218
に抜ける手前に架かっている。実は今回で
3
度目である。前
2
回ともこの橋が目磨橋と分かっていながらも石組みを見ることが出来なくておかしいおかしいと思っていたのだが、今回やっと確認できた。何のことはない直ぐ下の畑に降りれば済むことであった。上部を
RC
が高く覆っているので覗き込んだぐらいでは分からないはずだ。
8.上小夏橋
石アーチ
下益城郡美里町二和田
舞鹿野田橋の直ぐ先の方、左手民家の裏手の道路・井手に架かる。これも扁平なアーチ。
RC
拡幅。
10.小夏橋
石アーチ
下益城郡美里町安部
R445
を
2km
ほど登った所にある雁俣荘の前の川を渡った所の広場の中に移設。現在露天温泉の工事が行われている。橋はその露天風呂を跨ぐ形になる模様。お湯がこんこんと湧き出ていた。でも工事が完成すれば外からは見えなくなるのではないかと思うが。
9.耳取橋
石アーチ
下益城郡美里町三和
R218
左手高台に移設された変わった建物の新役場を過ぎると右手に目立たないが葬儀社がある。その直ぐ先を右手に入って旧道へ登って行く道がある。入って直ぐの正面に軽トラック用の掘建て駐車場があり横に水路が流れている。駐車場の奥に架かっている。上を走る旧道の小さな橋である。
12.新内山橋
⇒撤去架替?
石アーチ
下益城郡美里町清水
R218
を
R445
交差点から北へ降りて行くと右手に雄亀滝橋案内板がある。それに従って
R153
に入って直ぐ右手。小さなアーチ、厚い壁石。
13.内山橋
下益城郡美里町清水
石アーチ
その上流直ぐ隣にある似たような橋。白い案内棒、
1
本で
2
橋分。
20.石清水橋
下益城郡美里町清水
石アーチ
霊台橋公園への登り口に架かる小さな橋。何となく輪石が二重になっているように見える。
その上の公園からは霊台橋が一望の下に見晴るかすことが出来る。
15.こめがね橋
(
志道原橋
)
下益城郡美里町石野
石アーチ
その直ぐ先にある、右こめがね橋の白い案内棒に従って右折。急な坂道を切れ上がって上の平らな所へ出て、そこから山道を
100m
ほど歩くと小さな渓流に架かっている。藪の中を下流側へ降りてそこから石伝いに登って行くと輪石を確認できる。左側の輪石が一つずれ出ている。陽が当たらないのか緑の苔がびっしりと生えている。この橋は志道原橋という別名を持っているようだ。
33.筒井前橋
⇒
撤去架替
石アーチ
下益城郡美里町名越谷
その交差点を反対側に少し行くと左手に白い案内棒があり白いガードレールのある小さな橋がある。ビニールハウスの隣だ。上流側は
RC
拡幅されているが下流側はしっかり残っている。基礎は意外と堅い岩盤のようだ。
16.県橋
あがた
石アーチ
下益城郡美里町石野
R153
をさらに進んで県地区に入ると直ぐ右手に平行に架かっている。かなり幅広の今でも十分通用しそうながっしりとした感じ。ここも川底は
RC
張りである。
14.桑木野橋
⇒
撤去架替
石アーチ
下益城郡美里町清水
R153
新内山橋を越えて行くとやがて桑木野の集落に入る。その道路に架かる。
RC
拡幅。上流川底
(RC
張り
)
にはなぜか犬が繋がれていて長いワイヤーを行ったり来たり出来るようになっている。吠えはしなかったが浅い流れの中いぶかしげにこちらをじっと見つめていた。
24.小崎橋
⇒
撤去架替
石アーチ
下益城郡美里町川越
R218
三本松から北へ入り
R220
を用来へ進む。右上に切れ上がって用来の集落を越えて下りて行った所のT字路に架かる。小さなアーチで壁厚が厚い。この小川も
RC
で固められている。
27.白岩橋
石アーチ
下益城郡美里町甲佐平
簡易郵便局前のもう一つの緑の案内板に従って福城寺方面に上がって行く。上にも集落がありそこを左に下った所の橋のたもとに白い案内棒がある。橋の下流を薄暗い渓流沿いに
100m
程進むと苔蒸した小さな橋が現れる。昔はこういう沢伝いに道路があったことが改めて確認できる。今ではほとんど通る人も無いのではないかと思う。
26.井竿橋
⇒流失
石アーチ
下益城郡美里町甲佐平
R220
を筒川沿いに下って行く。
1km
ちょっと先右手(旧道?)に簡易郵便局(民家と変わらない)がある。その前にある緑の案内板に従ってすぐ下流に降りて行く。民家の玄関前を失敬すると直ぐに現れる。現橋の下に隠れるようだ。大変いびつなアーチである。
21.鍵ノ戸橋
石アーチ
下益城郡美里町清水
R218
に出て砥用町へ(今は合併して美里町)、霊台橋を越えて少し上ると右手に岩清水橋、ちょうどその辺りの
R218
から左折、直ぐの所に架かっている。案内棒も立っている。こんな近くにあるのに全く気が付かなかった+。枯草茫々で小さな橋である。
28.中岳橋
下益城郡美里町甲佐平
石アーチ
R220
沿いの甲佐平にある井竿橋の横を過ぎて白岩橋のある山手甲佐岳方面に上る。下って左折すると白岩橋、そこをそのまま新橋を渡って
400m
ほど進む。鬱蒼とした杉林の中の左カーブに架かっている。薄暗い中、川底に降りると
RC
で拡幅された小さなアーチが見える。ストロボが必要。
30.桑野橋
石アーチ
下益城郡美里町甲佐平
R220
をさらに少し進むと左桑野方面の標識が立っている。左折して高台に登って行くと数軒の桑野の集落がある。直ぐ右折して細道を
300m
進むと案内棒が立っている。右下に草を掻き分けて進むと杉林の中に上面が階段状になった古そうな石橋がある。輪石以外は雑然と積まれているが、なぜ階段状になっているのかが分からない。
31.西ノ鶴橋
下益城郡美里町甲佐平
石アーチ
R220
をどんどん下って行く。井竿橋も過ぎて、やがて右手に白い案内棒。どこに橋があるのかと思ったら直ぐ上の山から流れ出てくる小さな渓流に架かる大変小さな橋だった。黒木町の関屋の橋に似ていなくもない。
32.告乗橋
つげのり
石アーチ
下益城郡美里町名越谷
緑川を西へ渡って名越谷方面
R321
へ入る。古閑の集落を抜けて名越の集落へ入る。ここはやや大きな集落だ。その中心の交差点を左折すると直ぐに小さいが
RC
製の立派な欄干が目に入る。側面は
RC
で覆われているが中の輪石の切れ目が確認できる。
34.三加橋
さんが
下益城郡美里町三加
石アーチ
名越谷の交差点から
1km
ちょっと南へ進む。すぐに三加の集落が続く。やがて左下を流れる天神川に1本の大きな杉の老木が立っているのが見える。近づくと
RC
に巻かれたアーチ橋がある。見るからに石橋であるが。その下流にある農家で人が動く気配があったので、
70
年配の老人に尋ねると以下のようであった。
確か石橋だったと思う。今まで壊れて架け替えたということはない。
60
年ぐらい前に
RC
で巻く工事をしたように記憶している。自分が小学校に上がるかどうかという頃だったと思う。
ということで石橋に間違い無いと思うのだが、真相や如何に。