平成22710日(土)梅雨の真っ只中の奇跡的な土曜日の晴れ。この1週間WEB天気予報とずっとにらめっこ(いつものことだが)。常に土曜日だけが何となく曇りマーク。ひょっとして、と淡い期待を持ちつつもその他の日は全て傘模様。金曜日になり、外はまだしとしと降り続いていたが土曜日が晴れることを確信。大分市在住のO氏よりいただいた中部地方の神社太鼓橋情報の1回目の探索に出かけることにする。今日は肌寒い。5時過ぎに起床。チロの散歩を済ませ、コーヒーと今日は氷水を多目に準備。トマトとピザパンと私の好物である梅酒から取り出した柔らかい梅を2個持参して630出発。早朝の国道はガラガラである。最初の目的地岐阜県養老町へ向かう。
1.多岐神社参道橋 / 2.参道添橋
2径間太鼓桁 / 2径間桁 養老郡養老町三神町
関ヶ原町中心部でR21からR365へ右折、名神を潜ってさらに先へ。私のイメージではR365からR56へ左分岐と思っていたのだが、実際はR56へは直進でR365の方が右折になる。その先牧田川を渡る広瀬橋北交差点で(本来ここを渡るつもりだった)標識に違和感を覚えそのまま名神沿いに東へ進む。かつて何度もこの名神を走ったものだが、その名神を自宅から遠く離れたこの場所で横目に見るのは感慨深いものがある。もう25年は走っていない。養老SAを過ぎて、道を誤ったかなと不安になり、とにかくどこかで右折しなければと思った途端に交差点があり、うまい具合に牧田川を南へ越えることができた。
その先、地図を確認しなければと思ってバイクを止め、地図を取り出して目の前の神社はどこに載っているのだろうかと思いつつ鳥居横を良く見ると、不思議なことにここが目指す多岐神社であった。実に不思議な感覚である。自分では迷ってえらいこっちゃと思っているのに、何と何と最短時間で目的地に到着しているのである。氷水を一口だけゴクリと飲み込んで中へ入る。弐の鳥居の向こうに金柵で遮られた太鼓橋が見えている。今日のファーストショットは1025。自宅を出てから3時間と55分後のことである。側面に回り込むときれいなアーチ形状が4条確認できる。形式的には2径間ということになるのであろうが、私的にはこの構造はどうも心配でならない。中央部の橋脚は横桁で受けるのではなく地面まで降ろしてもらいたい。気のせいなんかではなく、現状でも10mmぐらいは撓んでいるのではないかと思われる。おそらくしかし、この形式であるが故に岡崎氏の心を捉えて離さない橋脚左右の“飾り石”というものが存在できることにはなる。皮肉なもんだ。残念ながら、周囲には人の気配というものが全く無く、この“飾り石”の正体を確認することはできない。“飾り石”表面には、クルクルと独特の文様が施されている。この文様、良く見ると微妙に左右対称ではない。私にとって初めての“飾り石”との対面であった。太鼓橋の右手には、2径間桁橋が架かっている。
この多岐神社には小さな摂社末社がいくつもあり、それぞれに独特な龍の彫り物が施されている。何となく雰囲気が滋賀県のものとは異なっていて、透かし彫りではなく、顔がやや正面を向いている。いずれも見事なものばかり。
5.有尾八幡神社参道橋 養老郡養老町有尾
太鼓桁
熊野神社から逃げるように下り、一色交差点をそのまま突っ切りさらに下る。突き当たりの土手道に這い上がり北上。直ぐにR225に右折、その先左手明楽寺は外れ。バイクをスタートさせると直ぐに左手に太鼓橋が見えてくる。八幡神社だ。寒いような養老山地から一気に駆け下りると、下界は暑く汗がどっと吹き出る。たまらずにウインドブレーカを脱いで半袖になり、短パンに履き替え身軽になる。ここから大垣へ向けて北上する。
4.一色熊野神社参道橋 養老郡養老町一色
ここも迷った。養老山地の東側をR56がビシッと1線を画す様に、急傾斜から緩傾斜へと変わるその境目を南北へ流れている。距離的には直ぐなんだが、なんせ目印が何も無い。かなり急なアップダウンを繰り返すR56を、ど迫力のダンプカーの圧力に追われるように南へ向かうと、入口が分からずあっという間に南隣の海津市に入り込んでしまった。私は、今熊谷という地名を目当てにしていたのだが、そんなものはどこにも無く、あわてて引き返す。地図を再確認すると、海津市との境界付近を山側に入るようだ。何の因果か知らないが、またまた大型トラックに追われて北上し、境界の川を越えてその先“一式”の交差点横のコンビニPに飛び込む。そこから急傾斜の細道を登って行く。他に道は無さそうだからとどんどん登って行く。やがて鬱蒼とした樹海に入りヒエーっと思うような急傾斜地に鳥居があった。何もこんな所に神社なんかと憤りを感じる。バイクのスタンドを出すとバイクがズルズルと下へ滑って行くではないか。やっとの思いで止めることができそろそろと登る。鳥居の奥に7本桁橋が架かっている。その先は途中までは比較的きれいな階段だが最後はゴロゴロとした自然石を並べた状態で実にすさまじい。
平成22724日(土)梅雨明け後の1週間は猛暑の連続。朝、会社に到着すると昼休みに弁当を買いに行く以外に外へ出ることがない。会社の目の前にいつものおばちゃんがニコニコしながら弁当を準備して待っていてくれる。このわずか数分の“外出”だが熱気の圧力は半端じゃない。とにかく、大阪のビル街の熱さはものすごいものではある。今朝は530のチロの散歩時点で既に汗びっしょりである。中部地方の神社太鼓橋の2回目の探索に出かける。今日は愛知県一宮市が目標。前回、早とちりから養老町の別の場所の熊野神社に行ってしまったが、室原地区に目指す熊野神社はあるらしい。まずは、養老町室原へ向かう。
6.室原熊野神社参道橋 / 7.参道添橋
2径間太鼓桁 / 桁 養老郡養老町室原
ところが、快適に走っていると彦根R8に出てGAS補給した直後、何かかすかに音がする。何だろうと思いながらもトラックの騒音に紛れてしまい、そのまま佐和山のトンネルを越えてしまった。出口で下りに入ったところで、後輪がズルリと頼り無い。パンクである。5cmはあろうかという細長い鉄くずを拾っていた。ここから先は急に寂しくなるので、トンネルを後戻り2軒目のGASスタンドで、うちはバイクは扱ってないんですが、というところを拝み倒して修理をしてもらった。文章にすればこんなもんだが、なんせドピーカンの炎天下。いやはや精も魂も尽き果てる、あるいは地獄の中に仏とはこういう状況を言うんだなと一人納得。おっちゃん曰く、あんた鳥人間に行くんか?と。あっ、そうか鳥人間は今日ですか?うん、今日と明日の2日間やけどな。毎年楽しみにしている鳥人間コンテストが目と鼻の先で進行中であった。あっという間の修理(実に簡単な内容)に2100円は高いかなとちらと思うものの、これで今日一日が無駄に終わらないとくれば贅沢は言っておられない。
R21綾戸口からR31へ右折、さらにその先R214に右折、南へ向かう。新幹線を潜り、川を2本越えると室原地区だ。一面の田んぼの中、右手に何となく神社の杜らしいのが見えている。一旦R227へ右折してその先から集落の中へ入って行く。WEB地図には集落の中の網の目のような細道は一切表示されていないので現地へ行って見て随分と戸惑う。結局、杜を目当てに進むと無事に到達。この太鼓橋は小さい。最も小さい部類に入るであろう。これだけ小ぢんまりと小ぎれいにまとめられると、まるでおもちゃの寄木細工を思わせる。半円アーチというより放物線アーチだ。実際、私は、ちょと大き目の馬の鞍を想像してしまった。飾り石も弁当箱ほどの大きさしかないが、レリーフされた文様の線幅は太い。太鼓橋の右手には桁橋がある。一応、添橋ということにしておく。
2013.08.11(日)晴れ。 先週、桑名市に散らばる養老鉄道養老線のレンガアーチをチェックしたが、その時、念のために少し北の方まで足を延ばした際に、踏切を渡る左手にレンガアーチが見えていたのが気になり、今日は、そのチェックに向かうことにする。確かに私の手持ちデータには、??跨線水路橋が3基あるらしいと言うことになっているが、詳細は全く不明。今日は、とにかく暑い。バイクで走っている分には、むしろ快適だが、停車する度に路面からの強烈な照り返しとモワーッとした独特の雰囲気が、今日が普通の酷暑日では無いことを告げている。先週に続き、桑名東ICで降りて、R258を北へ向かう。
8.(仮)小倉谷跨線水路橋 養老郡養老町小倉
レンガアーチ水路橋(養老鉄道養老線)
山崎北谷を後にし、R258駒野交差点からR56へと入り、養老町へと北上する。市境の今熊谷までやって来て、このカーブに見覚えがあることに気付く。ちょうど3年前に、この今熊谷まで南下したことがあったのだ。そこを過ぎて1kmほど北に目指す小倉谷があった。右折できそうな細道に入り下って行くと小学校がある。おぼろげな記憶では、小学校の南側が目的地のはずで、小学校の東側に出ると、向こうに見事な天井川跨道橋アーチが見えている。そこを南へ潜った所で日陰にP。上手に向かって歩く。製材所があるが今日は休みなのか誰も居ないのでさっさと敷地内を突っ切って林の中に入る。すると、右手に天井川の法面、前方に架線が見えている。扁額は無い。

南側です

完全な枯れ川。WEB地図では川の上を線路が跨いでいますが、これは間違い

北側です
3.源氏橋 養老郡養老町飯ノ木
2径間太鼓
この橋は迷った。私がつかんだ情報では場所は明徳という狭い一画だったのだが、現地に行ってみるととんでもない場所で、イメージとはまるで異なる状況にかなり焦った。最初の?は、現地がかなりの傾斜地であること(地図上では平面と思い込んでいた)。次に集落が鬱蒼とした樹木に囲まれ、細道はクネクネとしておりいったいどこに通じているのやら見当が付かない。しかも、集落の中には川は流れていない。さらに、集落南側の川はびっしりと草に覆われており、そこそこ川幅も広く、とてものことイメージしている源氏橋が存在していそうな所が無い。散々うろうろして何となく下の道に出て、仕方が無いから南へ進むと何のことは無い、目の前に突如出現。要するに明徳ではないと思う。川の配置も私の地図とは随分と異なっており、運良く見つかったからいいようなものの途方に暮れるところであった。源氏橋は水路に架かる2径間太鼓桁橋である。水路は底が深く、従って橋脚は随分と長い。しかも通常は2本で受けるところを3本で受けている。下面を確認できないので明確ではないのだが、橋板は一枚物なので太鼓桁はおそらく左右2条しかなく、中央の橋脚は何の役目も果たしていないと考えられる。橋そのものは、取り立てて特徴がある訳ではないが、一つ興味を引くものは、高欄に施されたレリーフである。高欄はそれぞれ4枚に区切られており、外側は、笹竜胆(ささりんどう)紋が実にくっきりと浮かんでおり、内側は矢が逆に彫り込まれている。下向きに鏑矢と思われる矢、その間には上向きにこれも矢と思われる簡単な形状のものが彫り込まれている。ウィキペディアに拠ると、やはり笹竜胆紋は源氏の紋とある。私がせっせと写真を撮っていると、同じくらいの年配のおっちゃんが、これまた同じようにバイクに乗ってやって来て、橋を繁々と眺め説明板を覗き込んで、しかし撮影はせずにニヤッと笑って去って行った。同類と思われたかもしれない。
2014.07.13(日)小雨 今日は天気が悪い。特に午後からは雨とのことだったが、既に家を出る頃から何となくポツポツと落ちて来る。今日は、くるまみち隊長とO氏との3人による三重・愛知・岐阜にかけての桁橋及びレンガアーチ情報のチェックである。ほとんどがO氏情報によるものである。名阪国道では雨合羽を着るほどでもないが、ずっと小雨が降ったり止んだりの状態で待ち合わせ場所の亀山には7:40に到着。さっそく、隊長の車で移動開始。
9.笠郷組合閘門 養老郡養老町大巻
2連レンガアーチ樋門
名鉄津島線のチェックを終えて、再び木曽三川を今度は西へ越えて養老町へと向かう。我々3人は古き時代の構造物に痛く魅せられているので、この木曽三川に架かる長大で総リベット仕立ての鉄橋には痛く感激。今日は、木曽三川を行ったり来たりするので、何度もその光景を目にすることに。揖斐川を越え、さらに津屋川を越えてまたまた細道に右折。少し北へ向かうと左手に五三小坪排水機場と言うのがある。そこの土手に、笠郷組合閘門と言うのがあり2連レンガアーチとなっている。川からの逆流を防ぐための樋門である。残念ながら遠望するのみ。

たぶん、現状では閉め切っていて排水機場から排水しているものと推察