2011.09.17(土)くもり、雨。8/末に勤務先が東京から愛知県知多市に変わって以来初めての石橋探索に出かける。今日から3連休。天気は良くないがせっかくの3連休、ぜいたくは言っていられない。初めての新潟・佐渡の石橋探索に向かう。(金曜夜にバイクを置いている船橋に戻り準備をする)外環から関越道に入り、ひたすら北へ向かう。やがて、長い長い関越トンネルを抜けると一気に新潟県越後湯沢である。米所魚沼を越えさらに北上する。新潟市内は雨。新潟中央ICで降りてフェリーターミナルに向かう。しかし全く初めての地でおまけに雨、非常に心細い。とにかく北へ進んでいると大きな川を越える。信濃川である。確か信濃川の右岸河口だったはずということで再度渡り直し、その後は迷わず到着。フェリー出港のわずか30分前。往復割引は無し。今日の日本海はべた凪。カモメに送られながら佐渡へ向かう。
1.善光寺門前橋 佐渡市新穂瓜生屋
佐渡は2度目である。最初は仕事でやって来たのだが、打ち合わせ場所がターミナルビルの直ぐ近く。ジェットフォイルでやって来て、打ち合わせが終わると急いで次の便で新潟市内へ戻るという何とも味気無い最初の佐渡であった。ということで実質的な佐渡の地を踏むのは今回が初めてである。小雨の中R65を南へ向かう。上新穂の日吉神社を目指しているのだが、私は事前に調べていた東の方、新穂第2ダムの西にある日吉神社へ向かった。ところがここは違う。土地のおばあさんに聞くも、日吉神社はここではなく、バスが通る下の方だと言う。こうなると分からない。うろうろしていると散歩しているおばちゃん二人連れに出会う。聞くと、小学校の下にあるという。下というのは方角で言えばどっちですか、と聞くと、西側とのこと。早速さきほど通過した小学校へと向かう。ところが小学校とばっかり思っていたここは無情にも中学校。またまた迷う。途方に暮れているとお寺の前に到達。見ると門前に桁橋がある。立派な龍の彫り物もある。佐渡の石橋第一号である。
18.新町大神宮参道橋 佐渡市真野新町
国分寺を後にして、さらに案内にあった真野御陵というのを目指す。どんどん進むとだんだんにぎやかになってくる。そして、ふと右手を見ると円弧桁橋が見えている。新町大神宮とある。ところが、この場所は、さきほど朱鷺を見に行こうと思い立ったすぐそばである。何のことは無い、グルリと一周して来た訳だ。また、今夜の宿泊地の直ぐそばでもある。真野御陵に行くのは止めにして朱鷺に会いに行く。
2.日吉神社参道橋 佐渡市上新穂(かみにいぼ)
善光寺門前橋をとりあえず撮影して、はてどうしたものかと思っていると先ほどのおばちゃん達がこちらへ向かってくる。私が中学校を勘違いしたこと、おばちゃん達はもっと詳しい説明をしなかったこと、それをお互いにゴメンナサイ。で、めでたく小学校の下の日吉神社に到着。目指す猿の彫り物がある親柱を持つ桁橋は参道のちょうど中間点にあった。よく見ると石桁は両端部のみで、中央部はRCのようだ。横へ回ると橋の長さに対して現状の溝幅は半分ほどである。従って、かなり窮屈な配置となっている。2径間の太鼓桁である。それにしても、猿の彫り物はユーモラスである。それと、最初に違和感を感じたのは、建物の外観がどう見てもお寺の本堂に見えてしまうのである。いわゆる通常の神社本殿の様式とは全く異なっている。電子地図ではこの辺りの地区表示は極めて複雑で、日吉神社は上新穂とのこと。半信半疑ではあるが上新穂としておく。
3.蓮華峰寺仁王門橋 4.客殿前橋
佐渡市小比叡
少し暗くなってきた。急いでR65を南へ向かう。真野でR350に入りさらに南へ向かう。このR350は快適な道路で通行量もごくわずか。しかししかし、土地の人の運転の何とのんびりしたことか。この快適な道路を徐行するような速度でゆっくりと進む。誰も追い越しをかけない。これには参った。初めての地で暗くなり、まだまだチェックしなければならない石橋が残っている。意を決して一気に3台をまとめて追い越す。やっとの思いで高台にある蓮華峰寺に到着。ここは傾斜地を利用してあちこちに建物があり、通路が上へ下へと畝っている。池に架かる橋はRCである。結局、中段の仁王門を入った所と下段の客殿前に桁石があるだけであった。
5.宿根木桁橋 6.宿根木念仏橋
佐渡市宿根木
R350を小木の港へと降りて行き、さらに駆け上がって今日の宿泊地である宿根木へと向かう。直ぐだ。途中左手に民宿清九郎の案内板も確認できた。そして急坂を巻くようにして降りた所が宿根木の集落である。左手には岩が複雑に入り組んだ独特の小さな入り江が黒々と広がっている。こんな狭い所に本当に千石船・北前船が入って来ていたのであろうか?案内板によると宿根木の集落は極めて狭い所に密集している。その中を細い水路が畝っている。念仏橋は上流の外れにあるようだ。その水路沿いをゆっくり歩く。幅1mほどの通路が続く。RC桁橋が各家々の入口に架かっている。ちょうど中間地点に石桁3本橋が架かっている。そのさらに上流側に念仏橋はあった。先ほどの3本桁橋とほとんど同じだが、こちらには念仏橋と名前が付けられている。どちらの桁橋も同時期に施工されたものらしい。瀬戸内海産の御影石をわざわざ尾道港から持って来たとのことで、当時の繁栄振りが伺える一コマではある。安永5年と刻まれているそうだが、私には確認できなかった。この宿根木には食料を調達するような店は一軒も無い。今日は素泊まりなので、一旦小木まで戻り小さなスーパーを見つけ食料を仕入れ、清九郎に到着した時はもう真っ暗である。さきほど場所をチェックできていたからいいようなものの、最悪、真っ暗な中、人っ子一人見かけることの無いこの地で途方に暮れるところであった。
2011.09.18(日)晴れ。民宿清九郎をおばちゃんに見送られながら6:30に出発する。別れる前、対岸の新潟本土の山がくっきり見える時は天気が崩れるとの不吉な言葉に送られる。しかし、今日は晴れてすがすがしい早朝の空気を吸い込んで相川へと向かう。
7.戸地用水樋掛水道橋 佐渡市戸地 とじ
石アーチ    (ヒカケ)
相川は小さな町である。金山で栄えた町であるが、バイクではあっという間に通過してしまうほどの狭さである。あわてて引き返し、相川保育園まで行き石橋を確認し、さらに北へ進み水金の忍橋も確認してR45を北へ向かう。左手には極めて変化に富んだ美しい岩だらけのゴツゴツした海岸線が続く。尖閣湾を過ぎてその先、戸地の集落に到着する。R45がグルッと右カーブしてさらに左カーブに変わる地点で右手細道に入る。砂利道である。川沿いをゆるゆると遡る。心細くなるようなガタガタ道だが、やがて小さな橋を越える。さらにしばらくして右手からの支流に架かる橋を越える。その先右手がかなり広く、そこにP。歩いて先ほどの支流の上流へと向かう。もっと上流かと思っていたが、ほどなくハハーンと思える場所に到着。要するにそこが行き止まりである。一段上に上がると細いRC水路がある。その延長線上に目指す水路橋はあった。下流側は良くは見えない。上流側は断崖絶壁の渓谷へと一気に変化している。少し下流側へ引き返して川底に降り、ヨロヨロしながら沢を登る。すると目の前に非常にきれいなアーチが見えて来る。イヤイヤイヤーッ、驚くほどきれいな半円アーチである。ちょと予想外である。もっと鄙びたゴツゴツと雑然と積まれたようなアーチを想像していたのだが、このきれいなアーチはどうであろう。お見事。目地にはモルタルが詰められているようだが、小さ目の輪石がそれこそ隙間無くびっしりと極めて滑らかに積まれている。これは特筆すべき特徴である。基礎石までを含めると全体的には馬蹄形で、それは鉄道トンネルを髣髴とさせるほどの見事さである。断面はかなりの台形で、上面幅2.6m、基礎石上面幅4.3m
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8.忍橋 (水金橋) 佐渡市相川水金町 (みずがね)
石アーチ
戸地から戻り水金地区に入る。R45から水金川を上流へ向かうと3つ目の橋が忍橋である。要するにR45からは直ぐである。ここは、その昔遊郭があった地区で、折良く歩いて来たおばちゃんに聞くと、そうなんですよ、そことそこと奥の畑になっている所もそうだったらしいですよ、と教えてくれた。忍橋は欠円アーチの小さな橋である。ほとんど輪石だけで、壁石はほんのわずかしか無い。この橋の上を一体何人の人々が行き来したことであろうか。全盛期は夜毎嬌声が聞こえる繁華な地域だったのであろう。今ではそういう過去のいきさつを全て刻み込んでひっそりと静かに横たわっている。 径間3.15m、奥行2.87m、内高1.25m、環厚0.3m
9.旧佐渡鉱山間ノ山下アーチ橋     佐渡市相川崇徳町
石アーチ     あいのやま
水金地区から少し南へ向かうと、左手佐渡金山跡、佐渡奉行所方面への案内が出る。そこを左折、坂道を登って行く。さらにぐっと高台に登った見晴らしのいい所が奉行所跡である。ここには東側に堀のような一画があるのだが、残念ながら木造のアーチ橋が2基架かっていた。さらに東へと登って行く。やがて正面やや左手に有名な動遊の割戸が見えて来る。さらに登ると右手に草に覆われたアーチが見えて来る。その上流側直ぐの所にもアーチが見えている。間ノ山下アーチ橋と間ノ山上アーチ橋である。下アーチ橋のそばから何とか濁川底に降りることができる。水は流れていない。下アーチ橋の下部に入るとゴツゴツした石積が見える。薄くモルタルが塗られているようで石の地肌は明確ではない。何となくきれいな輪石アーチは両端部の1条ずつのみで中央部分はとてものこと輪石と呼べるような積み方ではなく、強引にモルタルで塗り固めたという雰囲気が伺われる。全体的にはやや馬蹄形である。 径間3.98m、奥行4.27m、内高4.45m、環厚0.35m
10.旧佐渡鉱山間ノ山上アーチ橋 佐渡市相川崇徳町
石アーチ
上アーチ橋はかなりの台形断面で、しかも若干斜橋である。下アーチ同様にアーチ下面はモルタルで塗り固められ石積は定かではない。さらに同様に両端部のみきれいな輪石アーチのようである。面白いのは、要石が異様に縦長で目立つのだが、のっぺらぼうで、他の輪石とはまるで異なっている。かなり大柄な橋であるが、私的にはやや面白みに欠ける印象である。
径間
4.35m、奥行約8m、内高4.17m、環厚?
11.南沢石橋 みなみざわ 佐渡市相川南沢町
石アーチ
朝方確認していた相川保育園前に戻って来た。ちょうど向かいの女性が何か敷物のような布を川沿いの手摺に干していたので声を掛ける。ここは以前はカトリックの海星愛児園だったが、今では市の管轄になり相川保育園となったとのこと。しかし、以前は園長さんが率先して父兄も協力して川の清掃をしてくれていたのできれいだったが、市になってからはそれも無くなって草茫々と嘆いていた。園長さん次第のようである。園の外れに草に覆われて小さなアーチがチラと見えている。上流側から階段で降りることができる。スズメバチがアーチの前にある蜘蛛の巣に引っかかっている虫を奪おうとしてさかんに攻撃をしている。しばらく待って飛んで行ってから、かわいそうだが巣を取り払い、手で何とかなる範囲内でしつこい草を払う。忍橋と同じように小さい欠円アーチが表れて来る。輪石の隙間にはモルタルが詰められているが、輪石は長さは短く、お互いにラップすることなく積まれている。この橋は、保育園前という表現は当たっていないと思う。この橋を渡ると延々と階段が続きそこらじゅう墓だらけとなる。要するにこの橋は上の段にあるお寺群へと向かう入口の橋なのである。従って、私は敢えてこの橋を南沢石橋と呼ぶことにする。
径間
2.95m、奥行3.05m、内高1.75m、環厚0.3m
12.塩竈神社参道橋 佐渡市相川江戸沢町
石アーチ
位置的には相川保育園の下流100mほどの所に塩竈神社はあるが、川沿いを伝うことはできないので、グルッと回り込むことことになる。小さな旅館の前に小さな欠円アーチが架かっている。うまい具合にアルミ梯子がある。上流側の要石は、かわいそうにガバッと欠けている。また輪石内面にはモルタルがベタッと塗りつけられていて、積み方が定かではない。神社参道橋が石造りアーチ橋というのはかなり珍しい。  紅林氏の情報による
径間
2.15m、奥行2.78m、内高1.31m、環厚0.31m
13.妙宣寺山門前橋 14.山門内橋
佐渡市阿佛坊町
相川でのアーチ橋の探索は、結局午前中で終わってしまった。全く迷うことが無かったことと要するに相川が狭いことによる。で、これで佐渡での予定を全て完了ということになるが、宿のキャンセル料を取られるのも癪だし、今から港に向かっても直ぐにはフェリーには乗れないし、新潟に早く戻りたい気持ちを我慢して、では、どうする?どうやって午後を過ごす?そこで思い付いたのが朱鷺である。せっかく佐渡まで来たのだから、朱鷺を見ておくか、ということでR65を北へ向かう。昨日の逆コースである。ところが、途中で妙宣寺・国分寺は右ですよという案内板が目に入る。時間はたっぷりあるし、暇つぶしにちょと冷かしてみるか、と軽い気持ちで向かう。この妙宣寺は広大な敷地の中にいくつかの建物がゆったりと建っており、天気がいいこともあって、緑が実に鮮やかでなかなかいい雰囲気である。山門横の日陰で昼食を済ませ、山門の手前と中にある桁石を撮影する。外と内とで桁石の枚数が異なるのが何となく気になるがどうということではない。
15.妙宣寺庭園橋 佐渡市阿佛坊町
1枚桁
昼食を済ませて目の前にある庭園風の一画を眺め回す。すると半ばは隠れているが小さな一枚橋が遠望できる。さらに無いかと本堂へ近づくと、上の方に驚くほどの量の彫り物がある。見事である。これほどの量はちょと珍しいのではないかと思う。しかも、いずれもすばらしい出来栄えである。龍はもちろんだが、それ以外にも相当な数がある。さらに本堂左手の渡り廊下の壁にもびっしりと彫り物が掛けられている。そしてさらに左手に祖師堂というのがある。ここの龍もお見事。ということで、軽い気持ちで寄ってみたのだが、思わぬ目の保養になったものである。
16.国分寺本堂前橋 17.玄関前橋
佐渡市国分寺
妙宣寺を後にして国分寺に回る。本堂の前に妙宣寺と同じような感じで桁石が並べられている。カメラを取り出そうとして愕然とする。無い。あわててバイクに戻って探してみるもやっぱり無い。頭は真っ白になるが、良ーく考えてみると妙宣寺を出てからここまでのどこかで落としたに違いないと思いあわてて戻る。しかし、どこにも落ちていない。直ぐに妙宣寺に到着。そこでやっと思い出す。トイレの手洗いの上に置いたのが蘇る。観光バス2台の向こう側に回り込むと、運転手やガイドさんらが大勢集まって何かを覗き込んでいる。私のカメラである。運転手の一人が私のことを覚えてくれていて、無事に戻してくれた。彼らは、私のカメラの中に宿泊した旅館でも写っていれば手がかりになるということで色々と探してくれていたようであるが、残念ながら石橋しか写っていない。カメラを持って再び国分寺に戻って、本堂前と右横の玄関前の石桁を撮影できた。